フジトモ島の冒険
― 暮らしの中の再出発の物語 ―

フジトモスタッフの一人が、かつて老人ホームで出会った方との実体験をもとにした物語です。
プライバシーに配慮し、お名前は仮名とし、一部内容にフィクションを交えてご紹介しています。
「トイレに行ったか、わからない夜に」
90代の鈴木ヤエさん(仮名)は、老人ホームでの生活が始まったばかりの方でした。
認知症があり、少し前のことが思い出せなくなることがとても多い方でした。
とくに夜になると、不安そうな様子が見られていました。
「トイレに行ったかどうか、わからないの」
そう話されては、居室とトイレを何度も行き来されます。
数分おきに立ち上がり、歩き出す。その繰り返しでした。
ですが、足元は決して安定していません。
立ち上がるだけでもふらつき、転倒の危険が高い状態でした。
夜間はスタッフの人数も限られています。
すべてに付き添うことは難しい――
それでも、
「自分で行きたい」という気持ちを、あきらめてほしくありませんでした。
そこで私たちは、環境を見直すことにしました。
ヤエさんの居室を、トイレのすぐ隣の部屋へ。
そして廊下には、置き型の手すりを設置しました。
両手でしっかりとつかまりながら、
短い距離を、自分のペースで移動できるように。
たったそれだけのことですが、
ヤエさんにとっては大きな変化でした。

「ここなら、大丈夫」
そんな安心感が、少しずつ表情にあらわれていきました。
不安そうだった夜の行き来も、
次第に落ち着いていきます。
新しい環境にも慣れ、
スタッフとの関係も築かれていくなかで、
ヤエさんの中に、
「ここにいていい」という安心が育っていったのかもしれません。
手すりは、ただ体を支えるものではありません。
不安なときに、そっと手を伸ばせる場所があること。
それが、“心の支え”になることもあります。
大がかりな工事ではなくても、
その人に合った環境を整えることで、
暮らしは、少しずつ変わっていきます。
夜の不安に、安心を添えること。
それもまた、
私たちにできる大切な支援のひとつだと感じた出来事でした。
